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モード分割多重通信

情報通信に関する技術の発展は凄まじく,ここ数年だけを見ても我々を取り巻く環境は大きく変化しました.私が小学生の頃(西暦2000年前後)にはスーパーの店頭で抽選会が開かれ,タダ同然で携帯電話がバラ撒かれるなど,移動体端末の普及が強く推し進められていました.中学生になると,同級生にも携帯電話を持った友人が多くなり,私も親を説得して買ってもらったことをよく覚えています.当時はチャットやメールなど,文字ベースの通信が一般的で,写真をメールに添付する"写メ"という言葉が生まれたのもこの時期です.今では国民のほぼ全員がスマートフォンを持ち,当たり前のように高画質の動画像コンテンツが飛び交っています.

SNSによる動画投稿や高画質動画コンテンツのストリーミング視聴などは,今後も普及・高度化が進んでいくことは想像に難くありません.更に,IoT(Internet of Things)によって乗用車や家電製品など,様々なモノがインターネットに接続する時代が到来しようとしています.普段皆さんが使用しているスマートフォンは電波を用いた無線で通信をしていますが,無線基地局から先では光ファイバによる通信網が敷かれています.光ファイバは1本で毎秒約100Tbit(ハイビジョン映画約1000本分!)の情報を一度に送ることができるほど大容量な通信が可能な媒体で,膨大な本数の光ファイバが世界中の都市を繋いでいます.

しかしながら,近年のインターネットトラフィックの増大は留まるところを知らず,近い将来にはファイバ1本あたりの伝送容量の限界である100Tbit/sを上回ると言われています.100Tbit/sの壁を超えるために,現行システムで用いられているシングルモードファイバに代わる伝送媒体として,光が伝搬するコアを複数有したマルチコアファイバや,一つのコアに10個程度の空間モードが伝搬できる数モードファイバを用いた新しい多重伝送技術が注目されています.

マルチコアファイバを用いることによる伝送容量の拡大は比較的理解しやすいですが,数モードファイバに存在する空間モードとは何なのでしょうか.光ファイバ中の光の振る舞いについて,「屈折率の異なるガラス(コアとクラッド)の境界で全反射を繰り返しながら伝搬する」とよく言われます.この表現は光を"光線"として扱った極めて直感的なものですが,光通信で用いられるようなファイバはコア径が数μmと極めて小さいため,"波動"としての性質が現れ始めます.コアとクラッドの境界で反射を繰り返す際に,ある特定の角度で伝搬する光は境界部分で常に弱め合う干渉を起こし,すべてのエネルギーがコアの内部にのみ集中するようになります.つまり,特定の角度で伝搬する光に対して光ファイバのコアに光波の閉じ込めが生じ,固有の断面分布を維持したままファイバ中を伝搬します.このような光ファイバに固有の伝搬形態が空間モードであり,複数の空間モードにそれぞれ異なる信号を与えて伝送する方式をモード分割多重(MDM)伝送と言います.

図に示した空間モードの中でも特に左上の一番シンプルな分布を持つものは基本モードと呼ばれ,基本モードのみが伝搬可能な光ファイバが現行システムで主に用いられているシングルモードファイバです.それ以外の空間モードは総じて高次モードと呼ばれ,複数の山を持ち,隣接した山の間にπの位相差を有しているのが特徴です.

空間モードはそれぞれ固有の複素振幅分布を有しており,空間モードを制御することとはすなわち光複素振幅分布を制御することに他なりません.光ファイバなどの導波路中ではなく,自由空間で光複素振幅制御を与えるホログラフィ技術は変調の自由度が極めて高いため,高精度な空間モードの制御が実現できます.そこで,我々の研究グループでは,ホログラフィ技術を利用した空間モード制御に関する研究をしています.

 

デュアルフェーズモジュレーション

A. Shibukawa(2022年4月現在,北海道大学准教授)らによって提案されたデュアルフェーズモジュレーション(DPM)は,2光波の干渉を利用した複素振幅変調手法です.ビームスプリッタにより光波を一度分岐し,それぞれに異なる位相変調を与えた後に再合波することで任意の複素振幅分布を得ることができます.2台の変調器間には厳密な位置調整が必要となりますが,計算機合成ホログラムのように空間フィルタリングを必要としないことから,空間周波数の帯域が広い鮮明な再生像を得ることができます.加えて,1次回折光ではなく0次光に再生像が得られることから回折効率が高いことも特長となります.

我々の研究グループではDPMによる空間モード制御技術を提案しています.下の図は基本モードから高次モードへの変換を実証したものです.複数の強度ピーク間にπの位相差を有するという高次モードの特徴がはっきりと現れています.空間モードは空間周波数帯域の狭い領域に光波が集中することから,DPMの特長の一つである広帯域は活かされませんが,高い回折効率により計算機合成ホログラムの約2倍の光エネルギー利用効率を達成しました.

今後は,反射型液晶素子を位相変調に用いた際に避けられない直接反射光に起因するノイズ混入や,大気のゆらぎによる干渉状態の不安定さなど,実用化に向けた課題の解決を目指しています.

 

空間クロスモジュレーション

空間クロスモジュレーション(SCM)もまた,A. Shibukawaらによって提案された技術です.SCMの説明に入る前に,拡散板による光強度分布の均一化と,位相共役光の波面復元特性について説明します.ランダムな位相分布を有した光波が空間を伝搬すると,拡散し強度分布が均一化されます.これは,すりガラスを通して見ると物体の像がぼやけることと同じです.このとき,拡散光の位相分布を反転(複素数である波動関数Aexp(iφ)の複素共役を取ることと等価なため,位相共役といいます)させて同じ距離を伝搬させると,元の複素振幅分布が復元します.

SCMでは,まず計算機内に構築した仮想光学系において,所望とする複素振幅分布を有した光波に対して拡散板による拡散を与え,拡散光の位相分布を取得します.この位相分布を反転させたものを実光学系の空間光位相変調器に与えることで位相共役光を生成し,仮想光学系と全く同じ光学系を通過させることで再生像を得ます.仮想光学系と実光学系のミスマッチや拡散光の強度分布を無視するため変調精度が課題となりますが,損失が低い位相変調素子のみによって光学系が構成されることから極めて高い光エネルギー利用効率が期待できます.

SCMは極めて高いポテンシャルを有した技術ですが,下の図に示したように,実験結果には歪みが生じています.空間モードの概形は得られており軽微な歪みにも思えますが,通信においては他の信号へのノイズの原因となってしまうため精度の改善が必要不可欠です.歪みの主な原因には仮想光学系と実光学系とで拡散板プロファイルが完全に一致していないことや,拡散光の強度分布が完全に均一化していないことなどが考えられます.そのため,仮想光学系の改良や最適化アルゴリズムの導入など,性能向上に向けた取り組みを進めています.

 

波面重ね合わせ法

従来の空間モード変換技術では,変調の出力には所望とする空間モードのみが現れることがセオリーでした.波面重ね合わせ法は,あえて他の空間モードが混ざった状態を出力複素振幅とすることで変換性能を向上することができるという,空間モード変換における新しい考え方です.

計算機合成ホログラムやDPMなどの手法では,強度分布の変調は各空間位置に光エネルギーの減衰を与えることによって実現されます.そのため,基本モードから高次モードを得るためにはすべての空間位置において入力強度≧出力強度の条件を満たす必要があり,大きな光エネルギーの損失を生じます.(一方で,SCMなど空間伝搬を挟んで逐次的に複数回の位相変調を与える方式では,理想的にはすべての光エネルギーを出力として得ることができますが,変調精度が課題となります.)

我々の研究グループは,複数の空間モードの重ね合わせにより波形が変化することに着目し,「変換目標以外の空間モードと重ね合わせることで,出力に含まれる変換目標成分を増やすことができるのではないか」と考えました.ここで,重ね合わせる空間モードの中にMDM伝送で用いる他の空間モードが含まれていると,他の信号へのノイズとなってしまいます.一方で,ファイバ中を伝搬できないほど高次の空間モード(放射モードといいます)は,ファイバ外へと放射するため通信に影響を与えません.そこで我々は,所望とする空間モードと放射モードのみによって構成されるような出力分布の重ね合わせ状態を導出するアルゴリズムを開発しました.

下の図に示した実験結果のように,波面重ね合わせ法による出力分布は一見すると歪みが生じているように思えます.しかし,結果を解析すると,他の信号へのノイズは従来手法とほぼ同等で,約28%のエネルギー損失低減を達成しました.今後は変換後の光波を光ファイバに通したときの性能評価や,従来技術との親和性に関する解析など,波面重ね合わせ法が実システムに適用可能であることの実証を目指します.


執筆:2022年4月8日

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